2007年1月16日 (火)

コーヒーブレイクその0

Life_0_1全然コーヒーに関係ないことを書いてます。以前、生活の記録という日記ブログを書いてました。仕事とはあまり関係のないアホ日記で、10日ほど前に止めたのですが、今こうして書いていると、やっぱりアホなことを書こうとする。そう、これがそうです。悩んでます。コーヒーが飲みたい。でも、今飲んだら眠れなくなるだろうな。

2007年1月13日 (土)

コーヒーの語源

大きな声で言えないが、ぼくはコーヒーについて知らないことが多い。というより、何度憶えても、すぐに忘れてしまう。でも、コーヒーのことを知らないからといって、好きな女に振られることはない。もし、
「ねえ、どうしてコーヒーはコーヒーっていうの?」
などと聞かれても、あわてる必要はない。てきとうに答えればよい。例を挙げてみよう。
「コーヒーの語源を知りたいんだね? そうだな、ぼくはフツーの女の子にはテキトーに答えることにしているけど、君は特別だから、ちゃんと答えるね。そのむかし、コーヒーの実は、お酒の原料だったんだ。赤く熟した実を発酵させてお酒を造っていた時代があった。コーヒーはアラビア語でコーヒーを意味するカゥア(Qahwah)が訛ったものだけど、カゥアはもともとワインを意味していたんだ」
「ふぅーん、意外だわ。ワインなのね、コーヒーって」
「うん、そうなんだ。あ、知人から珍しいワインをもらったんだけど… どう?今夜の予定は」

2007年1月12日 (金)

珈琲の効能その2

どうでもいいことだが、わが家の冷蔵庫には納豆が常備されている。冷蔵庫を開けると、いつでもそこには納豆がある。意外に思うかもしれないが、平和とは、そういうことなのだ。ところが今夜、冷蔵庫を開けると納豆がなかった。
「納豆は?」
ぼくは振り向きざまに言った。
「売り切れてたの。あるある大辞典で納豆ダイエットというのがあったらしいの」
やれやれ、またTVか。軽薄な連中め。納豆ダイエットなど、スマートなぼくにはどうでもよいことである。
今、ぼくはコーヒーが有する特殊な効能について研究中なのであるが、当然、それは納豆ダイエットなどという低いレベルの問題ではない。まだ発表の段階ではないが、当ブログの読者にだけ内緒で公開しよう。というわけなので、まだだれにも言わないでほしい。
実を言うと、コーヒーは「ハゲ」に効くかもしれないのである。
笑ってはいけない。これは大変なことなのである。
これにはいくつかの根拠というか、既成事実がある。
まず一つ目。コーヒー屋にはハゲが少ない。(ような気がする)
二つ目。遺伝的に、ぼくはハゲる確率が高いのだが、いまだにハゲていない。

あ、もう12時。寝る時間だ。この続きはいつかまた。
それではみなさん、さようなら、おやすみなさい。

2007年1月11日 (木)

コピ・ルアク

皇徳寺店の常連のお客様が
「これを見るとコーヒーが飲みたくなるよ」
といって、「かもめ食堂」のDVDを貸してくださった。
ご覧になった方なら、すぐに思い出す、あの印象的なシーン。
ドリッパーにコーヒー粉を盛り、中央に指で窪みをつける。その際
「コピ、ルアック」
と、唱えるのである。すると、驚くほどうまいコーヒーができるのだ。
なお、この抽出法は現在、特許申請中である。
という話はまだ聞かない。
ちなみに、コピ・ルアク(Kopi Luwak)とはジャコウネコの糞から採られるコーヒー豆のことである。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2007年1月10日 (水)

風がとまるとき

風は、吹いていないときは何をしているんだろう?
これはケストナーのことば。

苦いコーヒーを飲みたくなるのはいつか?
風向きが変わるとき。

これはぼくのことば。

2007年1月 9日 (火)

焦げた味

簡単に言うと、ぼくの仕事は遠い南の国から仕入れたナマのコーヒー豆を、火であぶって焦がし、袋につめて売ることである。簡単に言うまでもなく簡単である。しかし、iPodでロックを聞きながらノリノリで豆を焼いていると、うっかり焦がしすぎて炭になる。ぼくは炭を売っているわけではないので、スミマセンではすまない。つまり、肝要なのは「適当」に焦がすことなのである。一般に、食物は焦げると苦くなる。同じ理由で、コーヒーは苦い。それを好んで飲むのは大人である。人間も焦げることがある。適当に焦げると大人の味になる。言うまでもないが、ぼくがそうだといってるわけではない。

2007年1月 1日 (月)

あけましておめでとうございます

2007

2006年12月27日 (水)

メキシコ

Ufoメキシコ。行ったことがないからわからないが、暑い国である。みなさんはメキシコと聞いて、何を思い出すだろう。サボテンかもしれない。しかし、ぼくはUFOが頭に浮かぶ。なぜか。ずいぶん前になるが、ナイト・シャマラン監督の「サイン」という奇妙な映画を見たせいなのだ。ストーリーは冒頭から深刻風に展開していく。固唾を呑んでみていると、メキシコの上空にUFOの大群が現れ、変な宇宙人が街を襲いはじめた。ぼくは笑いがこみ上げてきた。ウルトラマンを思い出してしまったのだ。ところで、今日からメキシコのコーヒー豆を扱っている。とても憶えにくい名前だが、しかたがない。コーヒー豆とはそういうものなのである。メキシコ・コアテペック。ぼくには憶えられない。

2006年12月 8日 (金)

未知との遭遇

Tuki_0
コーヒーカップとの出会い。
あなたの魂に訴えてくるコーヒーカップがここにあるかもしれない。
と、いうわけで、
お茶碗屋、つきの虫 「虫太郎のコーヒーカップ展」
を開催します。
場所はここ。うち。鷹師町の某コーヒー豆や。
1月10日までやってます。

2006年9月29日 (金)

珈琲のききめ?

若いですね、と言われることはよくある。しかしこれはたぶん、社交辞令というやつだ。でも、いくらなんでも10歳も若く見られるのは、どう考えてもおかしい。からかわれてる、とみるのが妥当だ。ところが、ここ数日の間に3回もそういわれた。たとえば昨日、20代前半のお客さんと話していてのことだ。ぼくはいつものように軽薄な会話を楽しんでいた。話の流れ上、ぼくは
「へぇ、お父さんって、いくつなの」ときいた。
「51です」彼女は答えた。
「ふぅん、ぼくとそんなに変わらないじゃん」
ぼくは言った。とたん、彼女は
「え~~~っ」と叫んで絶句した。
ぼくもビックリした。気を取り直し、彼女は言った。
「今まで、40前くらいだろうと思ってました」
彼女が帰った後、ぼくはトイレの鏡に映った自分の顔を見た。
40前、ねぇ。
顔じゃないのだろう。ぼくのしゃべる内容、程度が、年相応の重みに欠けるというか、薄っぺらいに違いないのだ。
いや、まてよ、案外、本当に若いのかもしれない。もしそうだとしたら、その理由、原因はなんだろう。
ぼくはひとしきり考えた。(バカだね)
浮かんだ。
「コーヒーを毎日欠かさず飲んでるからかもしれない」
ぼくは人一倍、人三倍コーヒーを飲んでいる。毎日10杯以上飲んでいる。しかも焼きたての新鮮なコーヒーを。定かではないが、何かで読んだような気がする。コーヒーには老化防止の作用があると。

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