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ご近所ぶろぐ

カテゴリ「ホームシアター」の55件の記事 Feed

2012年9月 7日 (金)

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某F少年オススメのセミフ・カプランオール監督の三部作から「卵」。この映画、なにかが違う。トルコの映画だからだろうか。DVDのメニュー画面もただごとではない。空中にぽっかり浮かんだ明朝体?の卵の文字がいきなりゲシュタルト崩壊を起こして謎のシンボルに化ける。明日は三部作の二番目「ミルク」を見る予定。メニュー画面が楽しみ

2011年6月28日 (火)

バッドマン ビギンズ

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ツユが終わった。
終わらないと始まらないものがある。
失わないと得られないものがある。
得ることによって失うものがある。
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大切なのは・・・
心の思いを行動で示せるかだ。
(バットマンの言葉)

2010年6月20日 (日)

とても残念なことなのかもしれませんが

数日前、NHKの衛星放送で「天国の日々」という映画が放送された。ずっと前から見たいと思っていた映画のひとつだったが、まだ見ずにいた。とにかく映像が美しい、と評判の作品だった。そんなわけで、ぼくは映画館で見るか、でなければハイビジョンで見たいと思っていた。今回はハイビジョンで放送されていたので、すぐに録画予約をした。たぶん、明日見ると思う。さっき、AMAZONのDVDレビューを見てきたら、おもしろいレビューがあがっていた。

以下引用

★★★★★ とても残念なことなのかもしれませんが, 2003/11/1
By     なら夫
レビュー対象商品: 天国の日々 [DVD] (DVD)
とても残念なことなのかもしれませんが、この作品は映像機器を選びます。この作品、テレンス・マリックの映画というより、ネストール・アルメンドロスの映像詩と言った方がおそらく正しい。ストーリーからの物語ではなく、映像そのものから伝わる物語に身を委ねるべき作品です。作品が映像機器を選ぶなんて傲慢なことのように思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、この作品にとって、それは、仕方の無いことなのです。と言うより他に何も言い様はありません。・・・ ただ、最大限にその映像再生環境を整えて、この作品に臨んだ時、この作品が与えてくれる悦びはとてつもなく大きなものとなります。

2010年2月12日 (金)

ある日どこかで

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さっきまで、ある方よりお借りした「ある日どこかで」という映画を見てました。切なかったな~。でも、こういう映画、大好き。山田詠美が何かに書いてたんですが、切ない、に対応する英語はないらしいですね。この「ある日どこかで(原題 Somewhere in Time)」はアメリカ映画だけど、あちらの人はこの映画を見て、どう感じるんだろう。「悲しい」のかな。切ないといえば、「惑星ソラリス」も恐ろしく切ないよね、「悲しい」のではなくて。あれは旧ソ連の映画だけど、ロシア語には「切ない」に相当する言葉はあるのかしら。

2009年1月13日 (火)

ぼくらはみんな生きている

Scaphandre
昨夜はニンニクの効いたモツナベを食った後、お客さんからお借りした「潜水服は蝶の夢を見る」という映画を見た。これは同名の著書を映画化したもの。以下、アマゾンの著書紹介から。
 -----------ここから-------------
著者のジャン=ドミニック・ボービー氏は、1952年生まれ。ジャーナリストとして数紙を渡り歩いた後、世界的なファッション雑誌、『ELLE』の編集長に就任しました。名編集長として名を馳せますが、1995年12月8日、突然脳出血で倒れ、ロックトイン・シンドロームと呼ばれる、身体的自由を全て奪われた状態に陥ってしまったのです。まだ働き盛りの43歳でした。病床にありながらも、唯一自由に動かせる左目の瞬きだけで本書を「執筆」しました。本書は大きな話題を呼び、フランスだけでなく、世界28か国で出版される世界的なベストセラーとなりました。しかし、1997年3月9日、突然死去。本書がフランスで出版されたわずか2日後のことだったのです。
 -----------ここまで-------------
さて、突然ですが、みなさんは生きている、という実感を味わったことがあるでしょうか。おそらく、気がついたらすでに生きていたはずなので、つまり、生きている状態がふつうだったから、特にそう感じたことは案外ないかもしれません。一度死んでみたら分かるのでしょうけど、なかなかそういうわけにもいきません。ところで、失うことで得るもの、あるいは、失わないと得られないものって、ありますよね。映画の主人公は、突然、身体的自由を全て奪われてしまったわけです。ぼくは勘繰るのですが、きっと、彼は何かを得たに違いありません。それは、もしかするとぼくたちが一生かかっても手に入れられない何かで、しかも、それは人が人生すべてをなげうってでも得るべきであろう、何か。それはたとえば、ヨブ記のヨブが苦難の末に悟った何か。ぼくはこの映画を見ていて、そんな気がしました。

2008年4月28日 (月)

二度は死ねない

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某F少年から借りていた、映画「めがね」を見た。舞台は、とある南の島。そこはケータイの電波も届かない、なんにもない。でも、浜辺では、変なオバサンがカキ氷を売っている、かもしれない。ぼくは海のそばの某レストランに行く。変なオジサンがコーヒーを飲ましてくれる。でも、最近、閉まっていることが多い。ケータイの電波が届くようになったからだろうか。気が向いたら自分でも生きてみるべ

2008年3月30日 (日)

人の心を持ったサルは人間か

Being_there_01
「むかしね、テレビの日曜洋画劇場でこんな映画があったんだけど、だれに聞いても分かんなくて、見たくても見ることができないんですよ」お客さんはカウンターにカップを置くと、残念そうに首を振った。彼は天気のよい休日、手入れの行き届いた古いバイクで、一人、山道を走り、その帰りにコーヒーを買いにくる。「車は海へ走るのがいいですが、バイクは山ですよ」彼の美学ではそうなってるらしかった。彼が帰ったあと、ぼくは彼から聞いた映画の内容をもとにネットで検索してみた。案外簡単に見つかった。ジャージ・コジンスキー原作「Being There」(邦題 チャンス)。主演ピーター・セラーズ。翌日、店にいらした映画通の常連さんに、こんな映画があるらしいですよ、と話すと、早速ツタヤで借りてきてくださった。観てみるとなかなかおもしろい。この映画、現代社会を風刺したユーモアたっぷりのコメディとして十分楽しむことができる。でも、一たび主人公の立場に立って、その深い孤独に目をやると、この作品の持つ別な面が見えてくる。その孤独は、主人公が知能発達不良とも受け取れる「純粋無垢な心」を持ち続けていることに由来する孤立に見える。純粋無垢な心とはなんだろう。聖書にある「神は自分に似せて人を作られた」時点における「穢れない心」だろうか。もしそうなら、主人公はこの現代社会にあって神そっくりのまま振舞っているのだ。ぼくの解釈は飛躍しすぎかもしれない。でも、この作品をそういう視点で見ると、奇妙なラストシーンを含め、いくつかの違和感が解消される。聖書の記述によればイエスを真に理解するものはついぞ現われない。というより、定義的に人はだれも神を理解できない。しかしイエスは言う。「だれでも私につまずかないものは幸いです」。イエスは人として生まれたが、人の中にあって孤独だった。さて、翻って、映画チャンス。この映画の鑑賞者は主人公チャンスをどのように見るだろう。知能レベルの低い子供のような男と見るか、それともそこに「神に似せて作られた者」を見るのか。作者はぼくらにこう言っているように思える。
「だれでも彼につまずかないものは幸いです」

2008年1月22日 (火)

愛を描かないから見えてくるなにか

昨夜、久しぶりにおもしろい映画を見た。
それは「パフューム
この物語の主題に人の愛はない。人のいう愛をイメージするものは描かれていない。匂いや音、光のリズムは言葉を介さず、人の識閾下に直に訴えてくる。神の愛は、人が人である限り理解できない。言葉で捉えられない。理解できないが、感得できる。そう、ゆえに、この映画が醸し出す奇妙なおもしろさは名状しがたい。
つまり、観るしかない。

2007年3月20日 (火)

らくだ

昨日は定休日だった。天気が良ければ南に桜を見に行くつもりだったが、あいにく外は冷たい雨。そこで爆弾製造犯よろしく、昼間っから雨戸を閉ざし、鍵をかけ、暗く密かに映画を見ることにした。見たのはチト古いが、アラビアのロレンス。以前NHK-hvで放映されたのを録画しておいたもの。ほとんどの映画は2時間程度で終わるが、コレは4時間近い大作。いい映画だった。舞台はサハラ砂漠。サハラ砂漠を走るラクダが、うっとりするほどカッコいい。ラクダがこれほど美しい動物だったとは。動物園のラクダも、砂漠に放せばあんなふうに走るのだろうか。

2007年3月12日 (月)

地デジを洗う

070312お客さんから「ちあきなおみを録画してあるんだけど、見ます?」とのメールがあった。もちろん「見るぅ~」と、即答。というわけで、ちあきなおみの特集を録画したDVDをありがたく頂戴することになった。地デジからのコピーワンスなので、お客さんのレコーダーからは消えてしまうことになる。貴重なDVD、ありがとうございます。さっそく部屋を暗くして鑑賞。アニマルズがヒットさせた「朝日のあたる家」を熱唱するちあきなおみ。う~ん、すばらしい。画質もgood!ぼくは地上波をバカにして地デジのケーブルをレコーダーにつないでなかったのだけど、この画質なら録画する価値があるカモ。と、さっそくケーブルTVのアンテナをつないでみた。ぼくは今日までBSアンテナしかつないでなかったのだ。驚いた。地上波とは思えないクリアな画質。初めて見る地デジは、思った以上に高品質であった。地デジの番組表を見ると、NHK総合22時から小椋佳63歳のメッセージ、という番組があったので、さっそくこれを予約。なんか得をした気分であった。地デジのあとは、血で血を洗うマフィアの抗争を描いた「ゴッドファーザー」を見た。恥ずかしながら、ぼくはこの傑作を未だに見ていなかったのだ。先日放送されたNHK-BSの録画を見たのだが、緻密なつくりで見ごたえがあった。おそらくTVで何度も放映されたのだろうが、ぼくは見ていない。初めての鑑賞が大きな画面だったことは、幸運だったような気もする。

2007年2月13日 (火)

SAYURI

昨夜はF少年から借りた、スピルバーグ監督のSAYURIをみた。舞台は第二次世界大戦中の京都。なのだが、なぜかぼくの中では、どうしても京都になってくれない。すぐに近未来のサイバー都市になってしまう。「ここは日本の京都なんだ」と何度自分にいいきかせても、ブレードランナー的な未来都市に落ち着いてしまうのだ。たぶん吹替えなしで見たせいだろうが、それにしても、ぼくのアタマって変。芸者物語としても十分楽しめたが、環境BGV風に使ってもおもしろそう。
夜。窓をたたく雨。明かりを落とした部屋でカクテルを傾ける二人。 BGVはSAYURI。 もちろん、吹替え、字幕スーパーなしで。

2006年11月12日 (日)

コワイ映画

明日は休みなので、夕食後、映画を見ることにした。
息子も見るというので、二人で見始めた。
その映画は「SAW」
見始めて15分後。
「この手はダメ、バイバイ」
と言って、ぼくは部屋を抜け出した。
その5分後、高3の息子も抜け出してきた。

2006年6月16日 (金)

灰色の夕焼け

昨夜はH・フォンダの「怒りの葡萄」という映画を見た。古い映画は、たいてい白黒である。劇中、スクリーンいっぱいに夕焼けが映し出された。当然、白と黒と灰の夕焼けである。驚くほど違和感があった。ぼくはあっけなく現実世界に引戻されてしまい、気がつくと暗い部屋のソファに座っていた。想像力の貧困が原因なのだろう。ぼくの中では、夕焼けは赤くなくてはならないらしい。

2006年5月14日 (日)

パラレルワールド

F氏から借りたMr.&Mrs.スミスというDVDを見たあと、Tさんから借りた「ニューシネマパラダイス」劇場公開版を見た。デジタルリマスターということで、色乗りがよく、フィルムライクな美しい映像で楽しめた。大きな画面で観るなら断然こちらがいい。
以前、このブログでも取り上げたのだけど、「ニューシネマパラダイス」には劇場公開版とオリジナル版が存在する。ぼくはオリジナル版を見ての感想をブログに書き、劇場版も見るぞ、と、宣言した。さて、今夜ついにその劇場公開版を見たわけだが…
結論から言うと、ぼくはだれがなんといおうと、オリジナル版が好きだ。圧倒的に。
劇場公開版は、トト少年と映画技師アルフレードの美しい友情の物語。トト少年が社会的な成功を収めたのは、ひとえにアルフレードの純朴で一途な友情のおかげだった、という感動のストーリー。ヨーロッパ映画にしては、明るくシンプルで、雲ひとつない青空を見るようなハッピーエンド。これはこれで、いい映画なのだけど…
映画の冒頭、ジャックペラン演じるトトは夜の都会を高級車に乗って現れ、豪奢な住まいに帰り着く。ベッドでは若く美しい女が寝息を立てている。が、しかし、ペランの横顔は幸せな男のそれではない(という演技をしている)。社会的に成功している男。富と誉れを手に入れた男。だのに、その顔に宿る深い陰。そういう構図を観客に印象付けてこの物語は始まる。帰郷しての、年老いた母との会話のシーンは特に重要だ。ぼくはここで涙が出るほど感動した。母は息子の幸せを願っている。当たり前かもしれない。母は息子の悩みを見抜いていた。今の息子が決して幸せではないことを。彼女は息子の性格を知り尽くしているのだ。社会での成功者が人生の成功者とは限らない。他人の目から見ればトトは成功者であり、しあわせ者だ。しかし、母の目にはそう映っていない。真の幸せとは。人生とは。
映画のラストで、トトはアルフレードによって切り取られたキスシーンを見ながら笑い始める。トトは気付いたのだ。キスシーンを切り取られた映画。それはまさに自分の人生そのもの。皮肉にもアルフレードはトトの人生からもラブストーリーのクライマックスを切り取ったのだ。これは笑うしかない。いやー、恐ろしいオチだった。あいかわらずフランス映画は残酷でおもしろい。
ただし、このヨーロッパ的な笑いはオリジナル版を見ないと分からないよ、ウヒヒ。と、暗にオリジナル版を勧めているぼく。

2006年5月 6日 (土)

なんにもない

昨日に続き、いつもより早く目が覚めた。カーテンを開けると空は曇り始めていた。
「なんにもない なんにもない まったくなんにもない」題名は知らないけど、そんな歌がアタマの中を流れていた。今日の予定は、なんにもない。コーヒーを飲みながら、庭の草花の株分けや植え替えをした。なんにもない日、コーヒーの消費量と時間の流れは正比例する。午後、Oさん夫妻が遊びにいらした。ぼくは、映画でも観ませんか、と提案した。Oさん夫妻も大の映画好きなので、気兼ね無くそういえる。一も二も無く可決。雨戸を閉め、プロジェクターをセットした。見たのは、レイ・チャールズの伝記映画、「Ray」
劇中、主人公レイは新妻にこういう。
「ぼくに対して思ったことは何でも言ってほしい」
その顔にいつもの笑いはない。彼は盲目ゆえに何度もだまされ、いつしか猜疑心の強い男になっていた。自分だけを信じ、安易に心を開かない。己に力があれば一人でも生きていける。天才が陥りやすい孤独のワナ。レイ・チャールズの笑顔は孤独を象徴しているように見える。心を隠すのに笑顔は好適だ。
ある日、ご主人あるいは恋人の顔から笑いが消え、こういう。
「ぼくに対して思ったことは何でも言ってほしい」

2006年4月18日 (火)

confusion

昨夜はF氏から借りた「ロング・エンゲージメント」というフランス映画を見た。謎解きになっているのだけど、謎にかかわる登場人物が多い上に名前がおぼえにくく、すぐに頭痛がしてきた。途中、ジョディ・フォスターそっくりの女優が出てきてフランス語をしゃべったために、ますます混乱した。フランス人なら、きっとここで笑うんだろうな、という場面が多数あったが、ぼくはどうしても笑えなかった。ぼくのコンディションが悪かったのかもしれない。変な映画だったが印象に残った。いや、かなりおもしろかった。やっぱりフランス映画はいいなぁ。

2006年2月25日 (土)

シクラメンのかほり

Mawata
真綿(マワタ)って、ご存知ですか?
知ってるよ、綿(メン)100%の綿のことじゃん。

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2006年2月 6日 (月)

ぼく、ロボタン

今日は休みだったのだけど、用事があったのでどこにも行かなかった。夕方から時間が空いたので、数日前にWOWOWで放映された 「アイ ロボット」を観た。実はこれ、映画館で観たし、DVDでも見た。なぜ、飽きもせずにまた見るのかというと、今回がハイビジョン放送だったせいもあるけど、なにより主人公のスプーニー(スプーン)刑事らの会話がおもしろいからだ。原作はSFの巨匠、アシモフ。思うに、SFを書く人って、そうとう理屈っぽい。おかげで伏線の張りかたが雪の結晶を見るように美しい。会話もきれいで無駄がなく、一つ一つ気持ちよく収まっていく。まるでジャズのアドリブを思わせるスピード感がある。でも、実際の日常でこういうスリリングな会話がなされるかどうか…。作家は1時間かけて5分の会話を創作するわけだから。

2006年1月 9日 (月)

ウサギの穴

Photo_6わが家は街から外れているので、休日の朝はとても静かだ。この自然な静けさを楽しんでいると、近所から掃除機の爆音が響いてくる。音源は水をフィルターにしたアメリカ製クリーナー。20万近くする弩級掃除機だ。車でいえばV8エンジン搭載のキャデラック。男がフェラリの排気音にシビレるように、主婦たちも舶来クリーナーの爆音にシビレている。のかもしれない。
ところで、掃除機は壁のコンセントから100Vをもらって作動する。コンセントは、穴が二つ開いているだけの単純明快な装置。しかし、これはアリスの世界に通じる不思議の穴なのである。この穴をちょっといじるだけで、爆音掃除機が俄かにオルフェウスの竪琴よろしく天上の音楽を奏でるようになる。というのは冗談であるが、このコンセント、オーディオの世界では深い謎を秘めた枢要な装置であることは今や常識。というわけで、ドライブに行けなかった今日、ぼくはコンセントの改造を始めた。もちろん、音楽を美しく聴くためであって、掃除機はマッタク関係ない。オーディオ専用に配線してあるので専用ブレーカーを落とすだけで工事に臨める。小1時間で作業終了。驚くべき音の変化だった。一般に、思い込みによって音は美しくなる。これを偽薬効果(プラシーボ)という。
さて、夜が来た。いつものように映画を鑑賞することにする。耳を頼りにアンプのボリュームを一番快適なところにセット。ここで、改造結果がプラシーボ効果でなかったことを目で確認。ボリューム位置がいつもより5db上がっている。これは音量を上げてもうるさくないということ。簡単に言うと、音が良くなっている。
うるさい装置にお悩みの殿方、アナの掃除を試してみては。

2005年11月20日 (日)

ジブリ

今夜は、つい先ほど思いがけず手許に届いた「ハウルの城」を見ることにした。宮崎アニメは日曜日の夜に観るのが最もふさわしい。ような気がする。ところで、ジブリ作品のエンドロールには知人の名前が顔を出す。それは東京にいたとき、お隣に住んでたお嬢さん。そのとき彼女はまだ学生だった。さっきネットで検索したら、某新聞のインタビュー記事で楽しそうに話していた。宮崎監督や久石譲さんを相手にバリバリやってるらしい。ずいぶん出世したものだ。「将来、どんな仕事をしたいの?」と彼女が聞いたとき、ぼくは「映画を作りたい」と言った。当事ぼくは、8ミリカメラに凝っていたからだった。「すごーい」なんていわれて、まんざらじゃなかったぼく。今考えると情けない。そして今、彼女は映画作りに携わっている。

2005年11月10日 (木)

paradise

Photo_4パラダイス。
なんて気持ちのいい響きだろう。頭の中でなんども反芻してみる。パラダイスって、どこにあるのだろう。頭の中だろうか。だれも知らないところだけど、絶対にある。パラダイス。
お店でニューシネマパラダイスをパソコンで見てたんですが、もったいなくなってやめました。パソコンの小さな画面じゃ、伝わるものも伝わらない。結局、家に帰って見ることにしました。

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2005年11月 9日 (水)

アルフレイド

ニューシネマパラダイスが急に気になりだした。
店がヒマになった夕方、DVDをパソコンに入れて見始めた。
ぼくが気になっているのは、あの写真技師、アルフレイドの正体。
彼がトトに行ったことは何なのか。
残酷非情な男アルフレイドは自分の描いた理想の人生シナリオを、若さゆえに分別のない少年トトに歩ませる。その手口は巧妙だ。そしてそれは、まんまと成功。そこに友情なんか微塵もない。これはスリラーだ。と、いうのが、ぼくが抱いていた感想だったのだけど、違うような気がしてきたので、もう一度見てみようと考えたのだった。
と、見始めたところでキュートな客さんがいらっしゃったので中断。うひゃひゃ。
明日はヒマだろうか。

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2005年11月 6日 (日)

ラッパの音が

フェリーニの「道」を今まで見ていた。
なにがおもしろくてこんな古臭い映画を何度も何度も繰り返し見るのか自分でもわからない。
しかし、多分、これからも何度も何度も見るのだと思う。
家人もあきれているだろうが、自分でも変だと思う。

2005年10月23日 (日)

電線男

アンプが壊れたので、交換してもらった。
このアンプには、スピーカーコードが7本つないである。
これを全部はずし、アンプを取り替えてつなぎ直す。
オーディオに興味のない人には関心のないことだと思うんだけど、一般にスピーカーコードは太い方が音がいいことになっている。
ぼくが使ってるコードもけっこう太いので、結線はかなり難儀した。
ところで、このスピーカーコード、良い物になると、1メートルあたり10万円もする。
もちろん、1メートル20円で売ってる電気コードでもまったく問題はない。
そう、問題はないのだが。
たぶん、女性には理解できない世界だと思う。

2005年10月 6日 (木)

映画館

2今度の日曜日、NHK-BSハイビジョンでイタリア映画「LA STRADA」邦題「道」がある。1954年の作品。こういう古い映画を街の映画館で観ることはもう不可能に近い。ぼくがホームシアターをやりたかったのは、そのような古い映画を大きな画面で観たかったからだ。画面が大きいと、明らかに感動が違う。
ハイビジョンで放映された映像は、大きく引き伸ばされても荒れることがない。音量も、聞きやすいように調整できるし、映画館で観るよりこちらの方がいいのではないかと思うこともよくある。先日映画館に行ったときも、その暴力的な大音量には閉口した。
しかし、映画館の持つあの独特の変なにおいや、今では稀だが館内のどこかで突然泣き出す赤ん坊の声がないのは寂しいといえば寂しい。

2005年8月14日 (日)

馬の目

盆休み二日目。東京の義弟が来るとのことで、家にいた。
自分でたてたコーヒーを飲みながら、店のステンレス容器を洗う。
音楽とうまいコーヒーがあれば、単純な作業もけっこう楽しい。
義弟は昼前にやって来た。
昼食はわが家の家族4人と冷やしそうめんを囲んだ。
帰りの飛行機まで時間があるとのことで、映画を観ることになった。
観たのは数日前録画した「シービスケット」。
シービスケットとは、古き良き時代のアメリカに実在した競走馬の名前だ。
競馬場でのレースの模様は、カメラも良く、すばらしく迫力があった。
大きな画面とHiFiなオーディオがあるとかなり楽しめるはずだ。
思ったとおり、脇役ではあるが本物の騎手が出演していた。
体から滲み出るリアリティーが相手役の虚構を際立たせてしまう。
特に目の表情がいい、と思った。馬の目を思わせる。
長年、馬と付き合っていると、こういうやさしい目になるのかもしれない。
「映画って、いいですね」つぶやくように言って義弟は帰っていった。

2005年8月 9日 (火)

みんなのうた

録画してあった、映画「ブエナビスタ・ソシアルクラブ」を観た。
登場プレイヤーたちの中心年齢は90歳くらい。
すげぇ年寄りばっかりだ。しかし、へたすると、ぼくより若いかも。
同タイトルのCDはお店でも時々聞いているのだが、スペイン語なのでさっぱりわからなかった。
映画では曲が流れると日本語字幕が出る。とてもいい詩ばかりで、目からウロコが落ちる思いだった。
それはとても身近で具体的な内容。それをあの世が近くなった老人がのびのびと歌う。
彼らにとって大事なのはモノではなく、異性、友達、街、国、そして音楽。
思ったことをそのまま声に出して歌う。ただそれだけ。わざとらしさのない、風のような音楽だった。

2005年8月 2日 (火)

進ぬ!虫老年

夕食を終えて時計を見ると9時40分になろうとしていた。 今から映画を観るとなると準備を含め、終了するのは0時をまわったころだ。 というわけで、家族で映画を観るのはやめにした。 映画以外にも録画したものはたくさんある。ぼくは一人でプロジェクターの前に座った。録画した中から某国営放送の「マレーシアの巨大昆虫」というのチョイス。長崎に住んでるナントカと言う虫好きのオッサンが現地のガイドとともに森林奥深く分け入っていく。 出た。まずは巨大ナナフシの登場。でかい!30cm物差しくらいの大きさだ。オッサンはその化け物のような虫を顔に這わせて喜色満面である。体中に鋭いトゲのあるナナフシもいる。見るからにアブナイいでたちだ。さすがのオッサンも触らないだろうと思ったら、むんずとつかんだ。いててて!オッサンは飛び上がった。アリも出た。やはり巨大である。おっさんは臆することなくつまみ上げる。が、当然のように噛まれ、いててて、と叫ぶ。カメラがズームアップすると指から血が出ている。 オッサンはさらに森林の奥へと進んでいく。

2005年7月29日 (金)

視線の研究

スピーカーのセッティングがやっと終わった。
コリン・ファレルとアル・パチーノの「リクルート」を観た。
コリン・ファレルの表情がおもしろい。
どこか小賢しく見えるのは、宙をさまようように動く視線のせいだろうか。
自分の視線なんて普通、意識することもないし、観察する機会もない。
ちょっと気になった。

2005年7月25日 (月)

原色の街

225_1 きょうは定休日。
台風が近づいているらしいが、天気は悪くない。
いつもならドライブに出かけるところだが、本日中にやっておかねばならないことがあった。
それはホームシアター用のスピーカーの取り付け。
注文したブツのうち、スピーカーがまだ届かないのだった。
10時を待って某電気店に電話した。入荷してるとのことだったので、さっそく取りに出かけた。
その足で某日曜大工店に寄り、スピーカーを固定するための金具を購入。
金具を取り付け、壁に固定。作業は滞りなく終了した。
とりあえず、試聴をかねて映画を鑑賞することにした。
観たのは録画してあった「ディック・トレイシー」。原色を多用した独特の彩色がおもしろい。
映画に没頭してしまったせいで、肝心の音の具合がどうだったのか憶えてなかった。

2005年7月21日 (木)

眠らない夜

220_1 注文したブツのうちの一つが届いた。
それは安~いデジタルアンプ。
重さは今使っているアナログアンプの5分の1。
片手で楽々持てる。叩くとペコペコとブリキみたいな音がする。
こんなもので、まともな音が出るのだろうか。心配になってきた。
とりあえず、結線を始める。
スイッチオン!
ん?
おや?
通電してしばらくすると、オーディオ装置と呼べそうな音がし始めた。
もしかすると、これは、ケッコウいけるかもしれない。
CDをとっかえひっかえしてるうちに、午前2時を回ってしまっていた。

2005年7月17日 (日)

ぶらんこ

今日は第三日曜日でお店は定休日。
なのだが、月の初めに余計に休んだので開けた。
お客様とアンプとかスピーカーの話などをして時間を過ごした。
ぼくはアンプやスピーカーのテクノロジーは煮詰まってて、目を瞠るような進展はもう望めないだろうと思い込んでいた。
しかし、ここにきてちょっと新しい展開があったようだ。
アンプがそうらしい。
1万円のデジタルアンプが、ン百万円の一流メーカー製アナログアンプを負かしたという話があるという。
本当なら実におもしろい。
ブランコは乗り物だが前に進まない。
オーディオがそういう状態に思えていたが、ブランコもデジタルになると走り出すのかもしれない。

2005年7月15日 (金)

ポイントカード

某電気店のポイントカードがケッコウたまっていたので、ナニか買うことにした。
閉店後、ぼくは川沿いの某電気店に行った。
そしてあるものを注文した。来週届くそうだ。
うひゃひゃ。
そのブツは、来週この日記で紹介します。

2005年7月12日 (火)

バカへの道

「ブルース・リーです」
クラスのだれだったか忘れたが、尊敬するひとは?と教師に問われ、そう答えたやつがいた。
今日は録画しておいたブルース・リーの「ドラゴンへの道」というのを観た。
学生時代、カンフー映画が大流行した。ぼくは立ち見でこの映画を観た。
学校にヌンチャクを持ち込んで没収されるマヌケが続出。
みんなうらやましいほどバカだった。
今日見た「ドラゴンへの道」は、アラばかり気になって、つまらなかった。
バカへの道は遠く険しい。

2005年7月 9日 (土)

哀しみの終わるとき

昨夜は疲れがたまっていたので新しいブツのセッティングは今日に持ち越した。
新しい機械が来るたびに分厚い説明書を読んで勉強しなくてはならない。
同カテゴリの機械なのに、同じ機能がメーカーによって呼び名が違うことが多く、端折って読めない。
このあたりを標準化していただければユーザーはヒジョーにありがたいのだが。
ま新しい教科書を手にした学生の哀しみをメーカーの技術者は忘れたのか。

本日 昨日

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